*いつも通り仕事をしていた。美羽さんは元々会社勤めしていたおかげで、仕事が早い。覚えるのも早いしこのまま働いてもらいたいけど、結婚して子供ができてしまえばそうはいかないだろうな。金銭的には余裕があるし、子供のそばにいてあげるほうがいいに決まっている。「お疲れ様」気怠そうな声で入ってきたのは、黒柳リュウジだ。別れた元彼女がいるのによくもまあ、ノコノコと来られるものだって、彼が所属する事務所だから仕方がないか。そして、当たり前のように、私の隣の椅子に腰をかける。リュウジは、お昼寝を開始する。……でも、私はショールをロッカーから出してかけてあげない。スースーと寝息が聞こえてきた。なんて、マイペースな男なのだろうか。「先輩、合コン行ったんですよね? どうでした?」今月から入社した正社員の若林セイナちゃんが興味津々に聞いてくる。まだ二十四歳なので恋愛話に興味がある年頃なのだろう。目を輝かせて質問してくるのだ。しかも、リュウジがいる前で……。美羽さんは驚いたような表情を向けてきた。ピタッと寝息が止まった。もしかしたら、リュウジは意識が戻っているのかもしれない。でも、構わない。私とリュウジは関係ないのだから。「声をかけてくれた人がいてね。いい人だったよ」「先輩、とても美人ですしね。男は放っておかないと思いますよ。デートの約束したんですか?」「あぁ……うん。お誘いしてくれたけどね」「職業は?」「弁護士なの」「いいな。じゃあ結婚も間近ですね! 美羽さんも、芽衣子さんも結婚かぁ」昼下がりの事務所がほのぼのとした。ちょっと、気が早いんじゃないかと思ったけれど、反論するのも面倒だから何も言わずにキーボードを打ちはじめる。カタカタと音がして静まり返った。「合コンで知り合って結婚したってうまくいくわけないじゃん」リュウジの声が響いた。椅子の背もたれに体重をあずけたまま、リュウジは言葉を続ける。「合コンなんて、いい部分しか見せないだろうし。たった一回会っただけでその気になるなんて逆に怪しい。弁護士なんて口がうまいに決まってる」「言われてみれば……そうかもしれないですね」セイナちゃんが納得したようにうなずく。美羽さんは複雑そうな表情をするだけで、話に加わろうとしない。「……ありえないね」リュウジは鼻でふんっと笑う
気まずい空気が流れている。リュウジのせいなんだから。イライラしていると、セイナちゃんは遅めの昼休憩を取るため事務所を出て行く。美羽さんと二人きりになった。「別れたの」さっぱりした口調で教えると、美羽さんは驚いた表情を見せた。「え、でも……黒柳さん、芽衣子さんのこと好きだと思いますけど……」「それはどうだろうね。元々不釣り合いだから。幸せに結婚がしたいな。平凡でいいの」強がっているように聞こえちゃったかな……。リュウジとじゃなくたって、幸せになってやるんだから。「あの、果物言葉って知ってますか?」「え?」「付き合いだした日っていつですか?」「えっと……たしか、八月十四日……だけど」突然、わけの分からないことを言い出した美羽さん。何かをパソコンで調べはじめた。もうすぐ八月十四日がやってくる。あと二週間くらいか……。「あ、ありました。桃ですね! 変わらぬ愛情・優しい心ですって。これ、結構当たるんですよ!」「変わらぬ愛情……か」「ちなみに、私と大くんは十一月三日で『相思相愛』だったんです。私、フルーツメーカーにいたので……」「ああ、なるほど」美羽さんは一生懸命励まそうとしてくれている。いつまでもくよくよとしていてはいけない。少し、心が温かくなった。
リュウジside大きな仕事が決まった時、美味しい物を食べた時、笑える話があった時、泣きたい時、一番初めに伝えたくなるのは、芽衣子だ。今日、俺は新しい仕事が決まった。嬉しくて、メールをしようと思ったけれど拒否されている。電話だって繋がらない。合鍵も返してしまった。番組収録をするため畳の楽屋にいる俺は溜息をついて、机に伏せた。……早く、機嫌直してくれないかな。芽衣子に触れたい。俺は芽衣子のことが大好きだ。本当に好きなのになぁ……どうして、こうやってもめてしまったのだろうか。相当、イライラしていたけど、何かしたかな。付き合い出して五年。週刊誌に撮られてしまうのを懸念して、外に一緒に出かけたことはない。そういうのが積もりに積もりイライラが爆発してしまったのだろうか……。大事にしていたつもりなんだけどな。コンコンとドアのノックが鳴った。「はい」「黒柳さん、スタンバイよろしくお願いします」「はーい」気持ちを切り替えないとな。よし、頑張るか……。
仕事を終えて帰宅したが、気分が優れない。芽衣子に会えないだけなのにこんなにも調子が狂うなんて思わなかった。大きな仕事が決まったのだが、海外の有名なアニメ映画の吹き替えをすることになった。大ヒット間違いない映画だ。仕事も増えるだろうな。しかも主人公をやらせてもらえるんだから、たまらなく嬉しい。こんな日は美味いものを食べながら、芽衣子と一緒に喜びたい。芽衣子も自分のことのように喜んでくれるだろうな。芽衣子に出会えて好きな人と楽しみを共有する幸せを知った。俺は、芽衣子に出会ってなかったら、とんでもない勘違い野郎だったかもしれない。俺との関係を人に言うなと伝えたのも、芽衣子が大事すぎるからだ。第三者の手によって壊されるなんて、たまったもんじゃない。「芽衣子…………」ソファーに座って目を閉じる。結婚か。考えなかったわけではない。俺は一生、芽衣子といると思っていた。どうして急に怒りはじめたのだろうか。考えていても時間が過ぎて行くだけだから、まずは風呂に入るか。ゆっくり立ち上がってバスルームに向かう。風呂に入ってぼーっと考える。――今まで、ありがとう……なんて言われた。まるでお別れの挨拶のようだった。ありえないよな。俺と芽衣子は愛し合ってんだもの。ベッドに入ると、芽衣子の肌を思い出す。胸のあたりがざわついて、妙な気持ちになる。そして、芽衣子の快感に溺れている表情を脳裏に思い浮かべる。何年も芽衣子とばかりしているのに、芽衣子でしか満足できない。早く仲直りしたい。芽衣子に会いたい。家の前で待ち伏せして週刊誌に撮られても困るし。
*会いたい気持ちがあふれて事務所に行くことにした。少しだけ時間があるから、芽衣子のショールに包まれて眠りたい。しかしだ。事務所に行っても芽衣子は目も合わせてくれない。そして、ショールもかけてくれない。――冷たい。そう思いつつ目を閉じていると、若い社員が芽衣子に話しかけた。「先輩、合コン行ったんですよね? どうでした?」は?芽衣子……合コン行ったのか?まじかよ。かなりショックなんだけど……。なんで、俺から離れていこうとするのだろう。「声をかけてくれた人がいてね。いい人だったよ」「先輩、とても美人ですしね。男は放っておかないと思いますよ。デートの約束したんですか?」「あぁ……うん。お誘いしてくれたけどね」「職業は?」「弁護士なの」「いいな。じゃあ結婚も間近ですね! 美羽さんも、芽衣子さんも結婚かぁ」まんざらでもない様子。芽衣子は本気で俺と別れて、違う男と結婚しようと思ってるのだろうか?「合コンで知り合って結婚したってうまくいくわけないじゃん」思わず声に出してしまう。芽衣子はキーボードを打つ手を止めた。「合コンなんて、いい部分しか見せないだろうし。たった一回会っただけでその気になるなんて逆に怪しい。弁護士なんて口がうまいに決まってる」「言われてみれば……そうかもしれないですね」若い社員が納得したようにうなずいた。「……ありえないね」芽衣子は俺のことが好きなんだ。だから牽制したかったのかもしれない。「黒柳さんみたいに出会いがたくさんあるわけじゃないので」イラッとして静かな声で言い返す芽衣子。「俺だってべつに……」言い返そうと思ったが、周りの社員に怪しまれるから我慢した。そして、何くわぬ顔で出て行く。芽衣子。どうして、俺から離れていこうとするんだろうか。エレベーターホールを力なく歩いていた。こんなメンタルで仕事をするなんて辛すぎるんだけど。男性マネージャーが俺を見つけて追いかけてきた。「黒柳さん、探しましたよ。ったく、どこへ行ってたんですか……。早く行きましょう」「ごめん」次は雑誌のインタビューだ。何を聞かれても芽衣子と関連づけてしまいそうで不安だった。
その夜。俺は赤坂の家に押しかけた。手にはハンバーガー十個入った袋をぶら下げて。タバコを吸っている赤坂の目の前に座る。「相変わらず、汚い部屋だな」「あ? 俺の勝手だろーが」「食う?」「サンキュー……って、その量を二人で食べるつもりか?」テーブルにハンバーガーをどんどん置くと目を丸くした。「やけ食いか。リュウジがやけ食いする時は何かあったってことだもんな」見透かされて少し恥ずかしい。付き合いが長いと分かるのだろうな。無視をしてハンバーガーにかぶりつく。「そんなに食うと体重増えるぞ」「…………」「で、どうしたんだよ?」赤坂が俺の顔を覗き込んでくる。コイツは俺様キャラだけど、優しいところがあって話しやすい。大樹は大樹で優しいのだが、今日は赤坂に話を聞いてもらいたかった。「芽衣子に浮気された」「へー。あの大真面目な芽衣子さんが?」赤坂は疑っているようだ。「合コンに行かれたんだ……。ありえない」「何か思うところがあったんじゃねぇの?」「ま、実はさ……」俺は芽衣子との間にあったことをひと通り話した。「……それ、浮気じゃないだろ」「え?」「芽衣子さんは、リュウジと別れたつもりでいると思うけど」ただの喧嘩じゃなかったってこと?芽衣子はもう、俺の芽衣子じゃないのか?ふざけているのかと思ったけれど、真剣な様子を思い出し、そうなのかと納得する。「どうしよう」「年齢だって年頃なんだし、結婚したいのは当たり前だろ?」「……まあ。でも、大樹に続いて結婚なんて普通は無理だろ。俺と赤坂が大樹の恋愛を過去に邪魔したから、今回は祝福してやりたいんだ……」「たしかにタイミングはある。祝福してやろーぜ」「ああ」「でも、芽衣子さんを安心させてやれないのは、リュウジに問題がある」ごもっとも。正しいことを言われてどんどん落ち込んでしまう。「でも、まぁ……他の女にも目を向けてみたらどうだ?」「無理」「なんで地味な事務員なんかがいいわけ?」「ビビッと来たからだよ!」ふんっと鼻で笑って「バカだな」って言われた。しばらく無言でハンバーガーを食べながら、芽衣子とのはじまりを思い出していた。
俺が芽衣子に惚れたのは、何気ない行動に胸を打たれたからだ。大きな仕事が決まった時祝賀会と称して会社の呑み会があった。嬉しすぎて俺は飲み過ぎて酔い潰れた。他の人は俺が転がっていても無視だったのに、芽衣子は俺を介抱してくれた。トイレで吐く俺の背中を擦ってくれて「大丈夫ですか?」と近くで見守ってくれていた。そんな状態で帰れない俺とタクシーに一緒に乗った芽衣子。今日は、コイツを抱きたいと思った。優しくてしっかりしている芽衣子にキュンとした。やりたい盛りの俺は酔って記憶が無いふりをした。家がわからないからと芽衣子の家に泊めてくれることになり、俺はベッドで眠ったふりをした。しばらくして部屋着に着替えた芽衣子。薄めを開けてみると、俺を心配そうに覗きこんでいて……たまらない気持ちになった。当時は、道を歩けば女を抱けるってほど人気があったから、美人な女をやりたい放題していた。芽衣子は綺麗だけど、超一般人。二十九歳だった彼女には、今まで付き合った男がいないとの噂もあって、絶対にやってみたかった。腕をぐっと引っ張って俺の胸に抱き寄せると『起きてたんですか?』と言って逃げようとする。更に強く抱きしめると『……嫌っ』と震える声で泣きだした。俺を拒否る女ははじめてだった。俺は、一気に興奮してしまい、酔いはすっかり覚めていた。『芽衣子さん、抱かせて』『あ、頭おかしいんじゃないですか!』暴れる芽衣子をベッドに寝かせて、手首を押さえ込み、唇を割って舌を挿入させた。足をばたつかせるからズボンを脱がせて、ショーツも剥ぎ取る。太腿を思い切り開いて間に入った俺は、体を密着させて、芽衣子の胸を舐めた。石鹸の香りが鼻を抜ける。『男が家にいるのに優雅にシャワー浴びてたんですか?』くすくす笑いながら言うと、芽衣子は涙をポロッと零した。『信じてたから……』『残念ですね。俺、見かけによらず、がっつくタイプなんですよ』そのまま強引に芽衣子のバージンを奪った。本当に処女だったことに俺は驚いていた。芽衣子はずっと、ずっと、泣いていた。朝まで一緒にいたが、眠ることなく泣き続けていて、とんでもない顔をしていた。それなのに、芽衣子は俺に朝ご飯を出してくれたんだよな。すっごく美味かった。『どうして……飯まで』『うちの大事なアーティストだから……。私は、あの会社が好
家に行くと、芽衣子は困った表情をしながらも中へ入れてくれた。ちゃんと謝ろう。そして、自分の彼女になってもらおうと思って行ったのに、緊張してうまく言葉を紡げなかった。だけど、しっかり抱いてしまって。それから、俺は定期的に芽衣子を抱くようになり、五年が過ぎていた。一ヶ月くらいは、喘いでくれなかった。黙って俺に抱かれているだけで、悲しそうな顔をしていた。どうすれば、芽衣子が喜んでくれるのか。『喘いで』最中、俺はお願いをしたこともある。だけど、芽衣子は眉間に皺を寄せて困った顔をするのだ。『気持ちよくないの?』『……私は……気持ちよくなる必要はないから』『は?』『あなたが満足すればそれでいい』知らず知らずに傷をつけていたと知り、反省した。その日は八月十四日。『俺のこと……彼氏的な存在と思っていいよ』『……え?』その日が正式に付き合いはじめた日だと思っていた。でも、それ以外は愛の言葉を伝えたことがなかった。考えれば、考えるほど……反省するばかりだ。「好きなら一度くらいは本気で勝負かけてみろって」「……ああ」七つハンバーガーを食べたところで満腹になってしまった。「吐きそう」「食い過ぎだっつーの」芽衣子に数日間会えないだけで、こんな思いをするなんて思わなかった。俺は、芽衣子を愛している。一度くらい……ちゃんと伝えなきゃな。「いい顔だな。頑張れよ」「ありがとう。赤坂」「俺も……頑張ろうと思ってる。俺らってさ、愛してるって思える女に出会えて幸せだと思わない?」「ああ」赤坂は好きな人と今は会えない距離にいて辛いだろうに、励ましてくれた。なんだか、申し訳ない……。赤坂の家を出て深呼吸をした。ちゃんと、伝えよう――素直な思いを。
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。